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【オフ会】横浜の仏像ブラ参り!2020年11月

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11月は横浜の仏像をブラ参りしました!

 

2021年1月23日〜3月21日まで横浜市歴史博物館で開催される「横浜の仏像ー知られざるみほとけたち」を

見学する前に横浜の仏像を先取りっ!ということで(笑)

横浜市歴史博物館より

 

神奈川県の仏像だと鎌倉や三浦半島をイメージする人が多いかと思いますが、横浜にもたくさんの古仏があるんですね〜!

 

午前中の集合場所は、JR保土ヶ谷駅近くの小さな公園です。約20名の仏像好きが集まって自己紹介をしました。仏像を好きになったきっかけやこの秋に出会った衝撃の仏像など、それぞれお話していただきました。

 

最初に訪問したのは遍照寺です。保土ヶ谷駅から5分ほど歩くと、近代的な建物の外壁に仁王さまが!

交通ルールを取り締まっているかのように道ゆく車を睨みつけています(笑)

遍照寺は、寺伝では876年に眞雅僧正が開創し、1618年に慶興法印が同じ区内の嶺岡から当地へ移し中興したと言われています。

 

現在、本堂が改築工事中のため、庫裏を仮本堂として仏さまがお祀りされていました。

拝観のご依頼をした時、ご住職が「仏像好きであれば仮本堂にいらっしゃる方が近くで見れるのでちょうどいいタイミングです」とおっしゃっていたので楽しみにしていました。

 

わぁー!ち、近いぞ!

 

 

近いとはいえ、こんなに目の前でまじまじと拝観できるとは思っていなかったので衝撃の光景でした。

・薬師如来坐像

・横浜市指定文化財

・鎌倉時代

・像高85.4cm

・寄木造

・玉眼

 

鎌倉時代の慶派と宋風のテイストが混ざったような、キリリとしたイケメンです!

しかし、どこかで会ったことが

あるような?ないような…?生身の人間のような艶かしい雰囲気も感じられます。

 

 

 

薬師如来さまの他にも、いろいろな仏さまがいらっしゃるのですが、その中でも注文を浴びていたのは赤子を抱いた観音さまでした。

よく見てみると…抱かれているのはおくるみに包まれた赤ちゃんでしょうか?しかし、赤ちゃんにして凛々し過ぎませんか?まるで、小さくなった達磨大師のようでした(笑)

 

 

次に向かったのは磯子区の真照寺です。保土ヶ谷駅からバスで30分。

ゆず”のファンの間では、2人の母校で知られる横浜市立岡村中学校の前を通り、住宅街を抜けると東南アジア風の本堂が見えてきます。

 

真照寺は、1182年に中世の横浜を代表する武将平子有長によって中興されたと伝わっています。歌舞伎の演題にもなっている曾我兄弟の仇討ち事件で負傷しながらも無事に生還できたことを毘沙門天の加護だと信じて、真照寺に毘沙門天像を奉納したといわれています。その毘沙門天像は磯子七福神のメンバーであり、また、「横浜毘沙門天」として地元の人たちに信仰されています。

毘沙門天さまは本堂のお厨子の中にいらっしゃいました。動きがあまりなくほぼ直立の毘沙門天さま。玉眼が入っているようなので、おそらくお顔は後補でしょうか?長い間、江戸時代に造られたお像だと言われてきましたが、本格的な調査により平安時代にまで遡る毘沙門天さまだとわかったそうです。

 

・毘沙門天立像

・横浜市指定文化財

・平安時代末期

・像高150.5cm

・ヒノキの一木造

午後は京浜急行線南太田駅に集合しました。さらに5.6人増えてより賑やかなオフ会となりました!

午後、最近に訪問したのは南区の光明寺です。光明寺は地元の人から久保山の光明寺と呼ばれ、久保山には斎場がありたくさんの墓地があります。

 

南太田駅からはずーっと登り坂。やっとの思いで登りきったその先に、光明寺の地蔵堂がありました。突然現れた大きなお地蔵さまにみんなビックリ!

 

こちらの地蔵菩薩さまは、元は秩父の山の中にいらっしゃったのを光明寺に移してお祀りしたそうです。大変興味深いのは、長野県善光寺の山門近くにいらっしゃる銅造の地蔵菩薩坐像(通称:濡れ仏)が、光明寺の木造の地蔵菩薩坐像を原型として作られた可能性があるという研究が進んでいるそうです。

 

本堂にあがり、こ本尊の阿弥陀如来さまに御祈祷していただきました。

 

 

外陣の右側に、横浜市でも最古級といわれる平安時代中期頃の菩薩立像がいらっしゃいます。両手がないので観音菩薩さまなのか、勢至菩薩さまなのか、または十一面観音さまなのかわかりませんが、お顔をよく見るとまるで少年のような可愛らしい表情が浮かび上がってきました。

・木造菩薩立像

・横浜市指定文化財

・平安時代中期(10世紀末)

・101.5cm

・カヤ一木造

 

そして、お隣にいらっしゃる聖観音さまはなかなかのイケメン!時代も何もわかりませんが存在感があります。

 

 

最後はブルーラインに乗り、新羽駅近くの西方寺へ向かいました。西方寺は旧小机領子年観音の15番札所で、12年に一度子年の春にご開帳されます。今年がちょうどご開帳の年だったのですが、コロナウィルスの影響でご開帳が途中で中止になってしまいました。

今回は特別に、私たちのためにご開帳していただき心ゆくまで拝ませていただくことができました!

西方寺は約800年前に鎌倉の笹目町に創建され、そのあと極楽寺に移り、約500年前に新羽の地へ移されたそうです。西方寺が新羽へ移る前からこの地には観音さまをお祀りする観音堂があり地域の人に信仰されていました。

 

西方寺に到着したのは17時近く。薄暗い参道を歩いていくと、やがて茅葺き屋根の本堂が見えてきました。駅前にこんなに風情な景色があるんですね…

 

本堂と観音堂と二手に分かれ、私は本堂にいらっしゃる御本尊さまから参拝しました。御本尊さまは端正な阿弥陀如来坐像です。

西方寺が鎌倉に創建された時からいらっしゃいます。その黒いお姿から「西方寺の黒本尊」と、呼ばれています。

この阿弥陀如来さまは最初から黒かったのではなく、西方寺が鎌倉にあったころは金箔が施された金ピカの阿弥陀如来さまだったようです。地元の漁師が漁がうまくいかないのは阿弥陀さまが金ピカのせいで魚が逃げてしまうからだと思い、阿弥陀如来さまのお身体に経文を書きながら黒く塗りつぶしたと言われています。

 

(西方寺ホームページより)

・阿弥陀如来坐像

・神奈川県指定文化財

・平安時代後期の作

 

いよいよ観音堂へ移動します!薄暗い中 恐る恐る石段を登ります。すると、柔らかい光に包まれた十一面観音さまのお姿がだんだんと見えてきました。

 

外陣に、修復前のお写真が展示してありました。修復前は少々厚塗りの金箔のお化粧がされたお姿でした。2010年から橫浜市教育委員会による調査が行われ、平安時代の十一面観音さまだとわかったそうです。また、東日本大震災の影響で立つこともできなくなってしまいましたが、修復により現在の穏やかで可愛らしい十一面観音観音さまになったそうです。

 

(西方寺ホームページより)

・十一面観音立像

・横浜市指定文化財

・平安時代後期の作

・像高105.3cm

帰る頃にはもうすっかり日が落ちて、外灯のない境内は真っ暗でした。後ろを振り返ると、お堂の中の灯りで浮かび上がるような御本尊さまがとても神々しく見えました。

 

今回のブラ参りは横浜の仏像をめぐりました。私は横浜に住んでいますが、ほんの数年前まで地元の仏像をめぐろうなんて考えたこともありませんでした。しかも近所に平安や鎌倉時代の仏像があるなんて想像もできず(笑)個人的には今回のブラ参りは地元の歴史を知る良いきっかけとなりました。また機会があれば第二段を開催したいと思っています!ありがとうございました!