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【東京都の仏像巡り】見仏会ブラ参りレポート|台東区編

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久しぶりにブラ参りを開催しました〜!

コロナ禍でジーッと耐え忍んだ半年間…!

それぞれのスタイルで仏活動をして来ましたが、久しぶりにブラ参りで集まることができました!

 

今回は台東区の仏像をめぐりました。浅草寺より北側のディープな奥浅草エリアや南側の鳥越まで、たくさん歩いて素敵な仏像に出会うことができました!

 

 

台東区の仏像というと、東京国立博物館浅草寺のイメージが強いかと思いますが、上野〜浅草エリアには寺町があり沢山のお寺が密集しています。

 

ちなみに、表参道エリア(原宿駅前〜参道交差点あたり)には、なんと約300店舗の美容室があるそうです…!これも凄い(笑)

 

最初に参拝したのは今戸にある廣樂寺です。隅田川沿いを歩いて10分くらいで到着。

 

今までお檀家さん以外は本堂に上がる機会がなかったという廣樂寺さんですが、今回は特別に阿弥陀如来さまを拝ませていただきました。お忙しい中ご対応くだり本当に有難うございました!

 

廣樂寺は釈寿玄法師が開基となり、江戸時代の1620年に創建されたといわれています。

 

台東区指定文化財

像高81.4cm

鎌倉時代中期

 

中央のお厨子の中にいらっしゃるのが台東区の文化財に指定されている阿弥陀如来さまです。下品上生の来迎印を結び、静かに佇んでおられました。

 

阿弥陀如来さまは、江戸時代初期は大久保右京亮教隆の所有でしたが、1632年に東本願寺13世光従に願い、廣樂寺のご本尊に招来したといわれています。阿弥陀如来さまは鎌倉時代中期の作と推測されているので、お寺の創建よりも約400年ほど前から存在する阿弥陀如来さまということになります。しかし、江戸時代以前の記録はなく、どのような経緯で大久保右京亮教隆のところに来たかは分からないようです。

 

阿弥陀如来さまの両脇に掛け軸がありました。こちらの聖徳太子さまと思われる絵…なぜかお顔が白く塗りつぶされていました。ご住職曰く、誰かが絵の具でも塗ったのでしょう!?という事でしたが、お顔がないというのはなかなか衝撃的な光景です…!

 

次に向かったのは竜泉にある西徳寺です。隅田川沿いの今戸から入谷方面へ、新吉原遊郭のあった千束を通り約2kmほど歩きました。

 

山門をくぐると、正面に立派な本堂が見えます。

 

 

西徳寺は、1628年の寛永5年に現在のお茶の水辺りに建立されました。しかし、建立されてから50年の間に3回もの火災に見舞われてしまい、1683年に現在の場所(竜泉)に移転することになったそうです。

 

昭和になり、関東大震災によって全壊してしまいましたが、多くの人の寄進により1930年に日本初の鉄筋コンクリート建築の本堂が再建されました。しかも土足で、まるで教会のように椅子が並べられています。こんなにもモダンなお堂が昭和初期に建てたれたとは驚きです。

 

 

西徳寺のご本尊さまも鎌倉時代の阿弥陀如来さまです。内陣に上がり、すぐ目の前で拝ませていただきました!しかもご住職の詳しい解説付き…!

阿弥陀如来立像

台東区指定文化財

像高99cm

鎌倉時代後期

 

廣樂寺の阿弥陀如来さまと同じく、鎌倉時代初期に仏師快慶によって定型化された来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像です。左肩からお腹のあたりにかけての衣文のたるみやヒラヒラと靡く様子がアレンジされていてオシャレ〜!

いつも開いているのか、開けておいてくださったのか、お厨子の横の扉から貴重なお姿も拝観することができました。やや前傾姿勢で来迎のスタンバイOK!いやぁ…美しいですね!

そして、内陣の右側には聖徳太子さまがいらっしゃいます。聖徳太子さまが16歳の時、用明天皇の病気回復を祈願して孝養をつくす様子を表したお姿です。


聖徳太子孝養像

台東区指定文化財

像高71.3cm

江戸時代中期(17世紀末)

 

孝養像といえば、真ん中分けの美豆良ヘアー!袍を着て袈裟をつけ、右手に香炉を持つお姿が定番です。特に下半身の衣の模様がかなり残っていてとても綺麗でした!以前、西徳寺には、この聖徳太子さまをのみをお祀りするお堂があったそうです。

 

午後は台東区寿の小さな公園に集合しました。午後から参加の方々と合流し再びブラ参りスタート!

 

最初に参拝したのは仙蔵寺です。すぐお隣が高層マンションという都心ならではの光景です!

 

 

お堂の中は広々としていました。中央に下がる煌びやかな天蓋の奥に、ご本尊の大日如来さまがいらゃいます。左右には台東区の文化財に指定されている薬師如来さまや珍しい三面大黒さまなどいらっしゃってとても賑やかです。

 

見上げれば、雲中供養菩薩さまのお姿もありました!

 

仙蔵寺は現在の中央区八丁堀に創建されたと伝えられています。その後、1635年(寛永12年)に現在の地(寿)に移転したそうです。江戸時代には真言宗智山派の道場として発展しました。

 

ご本尊の大日如来さまは智拳印を結ぶ金剛界の大日如来さまです。金箔というよりはマットな銅色のお姿をしていて、ブロンズ像のような高貴な印象を受けました。満月を背負ったようなまん丸の光背も素敵です!

 

そして、密かに話題になっていたのは大日如来さまの横にちょこんといらっしゃる小さな誕生釈迦仏さん…!

 

 

こちらは不動明王さまと薬師如来さまです。不動明王さまは制咜迦童子と矜羯羅童子を従えた不動明王三尊像です。

 

薬師如来立像

台東区指定文化財

像高46cm

平安時代後期

 

薬師如来さまは衣文の表現が簡素で、とても穏やかなお姿をしていました。元は土佐国・青龍山宗安寺のご本尊でしたが、明治時代に廃寺となったため1913年(大正2年)に仙蔵寺にいらっしゃったそうです。地方仏の温かみを感じる素敵な薬師如来さまでした。

次に、大日如来様の左隣にいらっしゃる三面大黒天さまと八臂弁財天さまを拝観しました。三面大黒伝さまは、大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した重量感のあるお姿です。八臂弁財天さまは妖艶なオーラを放っておられます。

最後に御祈祷までしていただいて、とてもよいお参りができました!ありがとうございました…!

最後に参拝したのは長寿院でした。長寿院には珍しいお姿の阿弥陀如来さまがいらっしゃいます!

都内にも“見返り阿弥陀”さまがいらっしゃるんですね〜!

 

阿弥陀如来立像

台東区指定文化財

像高77cm

鎌倉時代後期

鎌倉時代、熊野であるお婆さんが天台宗の恵心僧都に出会い阿弥陀如来立像を貰い受けました。熊野から関東の方まで背負って帰って来ましたが、豊島区のあたりでグッと重くなり持てなくなってしまいました。置いていくわけにもいかず、その辺のお寺に預けたそうです。江戸時代になって、神田の長福寺というお寺で発見され、笈縁(きゅうえん)というお坊さんが阿弥陀如来さまを見て感動し、お祀りするお寺を建てたそうです。それが長寿院という事ですね。

 

笈縁が念仏を唱えていたら「笈縁!笈縁!」と呼ぶ声がして阿弥陀如来さまをの方を見たら、笈縁の方を向いて首が左に傾いていたそうです。

 

ご住職のお話によると、阿弥陀如来さまは臨終行儀に使われていたという事でした。葬儀の時に北枕でご遺体が寝ると、阿弥陀如来さまがちょうどご遺体の方を見るようになるそうです。臨終の時にすぐ側で見守ってくださる阿弥陀如来さまなんですね。

 

長寿院は、仏教とお寺とお坊さんを身近に感じる事が出来る場所「茶坊えにし」として、毎週土曜日に様々なイベントを開催しています。

 

茶房じゃなくて“茶坊”とは「茶房+お坊さん」の造語なんだそうです!

 

訪問した日がちょうど土曜日だったので、仏像リンクのメンバーも写経会に参加させていただきました!

 


 

コロナの感染者数が少しず減って来た9月中旬頃から、今回のブラ参りの準備を進めていました。拝観のご依頼をした時はまだ感染者数が少なくはなかったので、突然ながら大人数の拝観はちょっと…というお寺さんもあったりして、訪問するのが申し訳ない気持ちもありました。

 

しかし、当日はどのお寺さんも温かくお迎えしてくださり「久しぶりにたくの人がお寺に来てくれて嬉しい」とご住職が言ってくださったを聞いて密かに胸が熱くなりました!

 

何より、久しぶりに集まった参加者の皆さんが楽しそうにお話ししていたのがとても嬉しかったです!久しぶりの開催にも関わらず初参加の方も多くてさらに嬉しくなりました〜!ありがとうございました〜!