JR南武線の武蔵新城駅から、賑やかな商店街や入り組んだ住宅地を抜けていく。30分ほど歩き、交通量の多い街道から一本路地へ入ると、風景ががらりと変わった。住宅街の突き当たり、小高い丘の中腹に星王山寶蔵院能満寺はある。

急な坂を上がり山門をくぐると、立派な大樹が影を落としていた。境内には世話役の女性たちの姿があり、ようこそと出迎える言葉が、歩き疲れた体に染み渡る。すぐ近くには第三京浜道路が走るこの高台には、その喧騒とはかけ離れた静寂と人の手の温もりが共存していた。

木造釈迦如来坐像|堂内の静寂に溶け込む衣文の柔らかな表現

能満寺・木造聖観世音菩薩立像:腰を捻り立つ屈強な平安の体躯

能満寺の聖観音菩薩を訪ねたのは二度目だ。前回はSNSで呼びかけ約70名の大所帯で訪問させていただいたが、今回は1人での訪問となった。本堂へ上がり、向かって左奥へと視線を送る。12年前の御開帳時とは異なり、今回は須弥壇の奥まった場所にその方は立っていた。遠目からでも、その異質なまでの存在感が伝わってくる。胸から腹、そして腰回りにかけての量感が凄まじい。

木造聖観世音菩薩立像|左腕からと右手の指先へと流れる衣文

腰をわずかに左へと捻り、右膝を軽く曲げて踏み出す姿勢。全体的に筋肉質で、いわゆる「マッスル型」と表現したくなるほどの屈強な骨格を持っている。やや伏し目に造られた顔には、張り詰めた頬の肉付きが残る。左腕から右手の指先へと、流れるように布の襞が刻まれている。洗練された美しさというよりも、大地に根を張るような力強さが、仄暗い堂内に充満していた。

仏像リンク編集部MEMO 📝

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
川崎市内で最も古いとされる、平安時代前半の貴重な観音さんです。

こちらの聖観世音菩薩立像は、10世紀前半の貞観彫刻の様式を伝える貴重な一木造りの仏像です。江戸時代に顔の造り変えや玉眼の嵌入などが行われたため、屈強な体躯に対して面部がやや小ぶりになっているという歴史的な変遷の跡が見られます。12年に一度の午年にのみ御開帳される秘仏であり、川崎市の重要歴史記念物に指定されています。

聖観音菩薩立像|前回訪問時の様子(写真:桃さん)。前回2014年は仏像の至近で拝観させていただいた。

 

仏像カルテ<聖観世音菩薩>

名称: 木造 聖観世音菩薩立像(市重要歴史記念物)

時代: 平安時代前半(10世紀前半)

像高: 101.3cm(長三尺五寸)

材質: カヤ材

特徴: 木心を籠めたカヤの一材より頭・体幹部を彫出する一木造。内刳りを施さない。江戸時代に修理され、顔を造り変えて玉眼を入れたため小ぶりとなっている。肉付きのよい堂々とした体躯。

 

能満寺・木造虚空蔵菩薩立像:本堂中央に秘められた明徳の基準作

能満寺本堂|約300年前の彩色を留める格天井と荘厳な内陣
能満寺本堂|約300年前の彩色を留める格天井と荘厳な内陣

本堂の中央、須弥壇のお厨子は固く閉ざされている。その奥には、当寺の本尊である虚空蔵菩薩さんが静かに眠っている。普段は新たな住職が就任する晋山式の折にしか御開帳されないという、極めて厳重な秘仏だ。しかし、この秋(2026年11月27日から29日の3日間)、修復完成を記念して特別に扉が開かれるという知らせを目にした。

頭髪を高く結い上げ、宋風の影響を受けたという端正な立ち姿を頭の中で思い描く。固く閉ざされた扉がこの像が歩んできた約600年という時間を守り続けている。

仏像リンク編集部MEMO 📝

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
胎内に仏師の名前と造立年代が記された、彫刻史において非常に重要な仏像です。

ご本尊の木造虚空蔵菩薩立像は、鎌倉仏師の朝祐によって明徳元年(1390年)に造立されました。中国の宋・元時代の様式を取り入れた装飾的な衣の襞や、高く結い上げられた宝髻が特徴です。後頭部内側に墨書銘が残されており、作例の年代を特定できる「基準作」として、神奈川県の重要文化財にも指定されています。

仏像カルテ<虚空蔵菩薩>

名称: 木造 虚空蔵菩薩立像(県指定重要文化財)

時代: 南北朝時代〔明徳元年(1390)5月13日〕

像高: 95.6cm(約三尺)

材質: 木造

特徴: 寄木造(割矧ぎ造)。玉眼嵌入。漆地に彩色(現在はほとんど剥落)。宋風・宋元風の影響が認められる。仏師朝祐の作。後頭部内側に造立年代と仏師名を記した墨書銘あり。

引用元:川崎市

境内の様子とその他の見どころ

能満寺境内|大樹の緑に包まれた静かな参道と堂宇の外観

本堂天井絵|約300年前に造られた

本堂内をゆっくりと見渡すと、約300年前に造られたという格天井が視界を覆う。川崎市からの調査が入った際も、彩色が剥離するのを防ぐためあえて埃を払わず、当時の姿のまま保存するという選択がなされたそうだ。堂内の右奥には釈迦如来さんが静かに座し、空間の余白を埋めるように古い仏たちが息づいている。ご住職の妹様から直接伺った寺の成り立ちに耳を傾けながら、長い年月が降り積もった空気の層を感じ取った。

お寺の歴史と伝承

仏像リンク編集部
仏像リンク編集部
行基菩薩の創建伝説から始まり、戦国、江戸と幾度も復興を遂げてきた古刹です。

能満寺の起源は古く、白鳳時代末期から奈良時代にかけて、聖武天皇の勅命により行基菩薩が創建したと伝えられています。もとは近隣にある威徳山影向寺の塔頭十二坊の一つとして建てられました。その後、戦国時代の天文年間(1532~1554)に僧の快賢によって現在地へ移転し開かれましたが、保護者であった小田原北条氏の滅亡とともに寺勢は一度衰退します。江戸時代中期になり、僧の観空によって再び中興されました。現在残る本堂は元文4年(1739年)に再建されたものであり、長い歴史のうねりの中で大切に守り継がれてきたことがわかります。

能満寺至近にある影向寺の外観

主な歴史年表

白鳳時代末期~天平12年(740)頃:聖武天皇の勅命により、行基菩薩が影向寺の塔頭として創建。

10世紀前半(平安時代前半):木造聖観世音菩薩立像が制作される。

1390年(明徳元年):仏師朝祐により、本尊の木造虚空蔵菩薩立像が制作される。

1532~1554年(天文年間):僧の快賢により現在地に移転。その後、小田原北条氏の滅亡で衰退。

1633年(寛永10年):鎌倉仏師三橋日向守により、木造増田孝清坐像が制作される。

1714年(正徳4年):中興の祖である観空が鐘楼を鋳成したのちに死去。

1739年(元文4年):木嶋長右衛門らにより、現在の本堂が建て替えられる。

本堂での時間を終え、再び急な坂を下る。境内の木陰を抜けると、目の前には車が行き交う日常の風景が広がっていた。数時間の滞在だったが、背中には確かな木仏たちの視線が残っている。修復を終えた本尊が姿を現す11月の特別開帳、そして聖観音さんが横浜の展覧会へ出張するという知らせ。次の再会を心待ちにしながら、ゆっくりと駅への道を歩き出した。

能満寺の拝観料金、時間、宗派、電話など

正式名称

星王山 寶蔵院 能満寺(せいおうざん ほうぞういん のうまんじ)

宗派

天台宗

住所・アクセス

〒213-0022 神奈川県川崎市高津区千年354

JR武蔵新城駅より徒歩約30分。または武蔵新城駅・武蔵小杉駅などからバス「能満寺」下車徒歩約5分。

電話

045-441-8974

拝観時間・拝観方法

本尊・虚空蔵菩薩は晋山式のみの秘仏。聖観世音菩薩は12年に一度の午年にご開帳。

拝観料金

志納