千葉・石堂寺の秘仏へ。平安の古様を伝える十一面観音と、慶派の千手観音に出会う

レンタカーを走らせる。車窓に流れる房総の景色は、どこまでも穏やかだった。
国道沿いに寺の案内が見え、静かな環境の中に石堂寺の境内が広がっている。 周囲には菜の花畑が広がり、3月の少し冷たい空気の中にも、優しい春の訪れが確かに感じられる。
駐車場から境内へ足を踏み入れると、本堂へと続く道の左右には菩提樹が植えられていた。今は枯れ木のような静かな姿を見せているが、それがかえって古刹の落ち着いた空気を引き立てている。
室町時代に建てられたという本堂は、重厚な佇まいで参拝者を迎えてくれた。

石堂寺・十一面観音立像:不思議なスマイルと、秘められた妖艶さ

本堂の扉が開かれ、内陣に入ると中央の厨子が目に入る。12年に2度、丑年と午年にしか開かれない秘仏であり、今回は午年の中開帳にあたる。 以前は厨子の中が暗く、目を凝らさないと拝観が難しかったそうだ。しかし、参拝者の「もっとお姿を拝みたい」という声に応え、ご住職がLED照明を工夫して設置してくださったという。そのおかげで、暗闇の中から観音様のお姿がくっきりと浮かび上がっていた。
2026年の御開帳ポスター|年々会期が短くなっているのだという像高約180センチ。ふくよかで、端正な面立ちだ。単なる優しさではなく、口元にはわずかに笑みをたたえているように見える。唇に残るかすかな紅の色が、像に神秘的な深みを与えている。

十一面観音立像のポストカード|内陣拝観でいただける
体は細身で、まるで可憐な少女のようだ。肩から膝前二段にかかる天衣、両足に沿う裳のひだが軽やかに整っている。プロポーションは美しく、女性的な柔らかさがある。右手は肘を軽く曲げ、掌を前に向ける。左手は肘を曲げて、つぼみの蓮の花を挿した水瓶を持っていた。
体は細身で、肩から膝前二段にかかる天衣、両足に沿う裳のひだが軽やかに整っている。プロポーションは美しく、しなやかな柔らかさがある。
右手は肘を軽く曲げ、掌を前に向ける。左手は肘を曲げて、つぼみの蓮の花を挿した水瓶を持っていた。 頭上を見上げる。髻の仏面、その下に阿弥陀立像の化仏。その左右と化仏背後の地髪上に菩薩面。左方には悪をいましめる表情、右方には頑張っている人を励ます表情。背面には悪を笑い飛ばす大笑面。それぞれの顔が、霊験の深さと人間味のある温かさを共存させている。
カヤ材の一木造。内ぐりもほどこさない古様のつくりで、両腕は別材を寄せ合わせてある。翻波式の衣文が平安時代後期の様式を色濃く伝えている。長い間、秘仏として地域の人々に大切に守られてきたことが静かに伝わってくる仏像だった。
その表情の意味を、完全には読み取れない。だからこそ、いつまでも向き合っていたくなる。
仏像リンク編集部MEMO 📝

石堂寺の本尊である十一面観音立像は、平安時代後期の作で国の重要文化財に指定されています。像高約180センチという等身大の大きさで、カヤ材の一木造。内ぐりを施さない古様のつくりや、翻波式の衣文などに平安時代の古い様式を色濃く残しています。 お顔はふくよかで端正、そして静かな笑みをたたえた表情が特徴的です。唇にはわずかに紅の色が残っており、神秘的な雰囲気を醸し出しています。
この観音さんは丑年の本開帳と午年の中開帳、つまり12年に2度のみ御開帳される秘仏です。かつては1ヶ月間の御開帳でしたが、ご住職によれば、今回は他の札所と歩調を合わせる等の管理上の理由から「3週間」に短縮されたとのこと。参拝を予定される方は会期に注意が必要です。
厨子の中は本来暗いのですが、ご住職が参拝者のためにLED照明を取り付けてくださったおかげで、平安時代から伝わるお姿を隅々まで拝観できるようになりました。

名称: 木造十一面観音立像(重要文化財)
時代: 平安時代後期 像高: 約180cm 材質: カヤ材、一木造、素地仕上げ 特徴: 両腕は別材製で本体に寄せ合わせ。翻波式の衣文など古様の表現。ふくよかで端正な面立ちに微かな笑みをたたえ、唇に紅の色が残る。細身の等身像でしなやかな美しさを持つ。丑年と午年の指定期間(今回は約3週間)のみ御開帳される秘仏。
石堂寺・千手観音坐像:多宝塔に鎮座する鎌倉の名仏
本堂を出て、境内の右側へ向かう。そこに多宝塔が立っていた。天文14年(1545年)の建立。丸一族が大旦那となり、里見義堯・正木時茂等の協力を得て建てられたものだ。
塔の扉口から中を覗く。千手観音坐像が安置されていた。像高約1メートル。丸々と張った顔で、若々しい感じがする。玉眼がすがすがしさを加えている。
引用元:石堂寺姿勢がいい。バランスのとれた端正な座り姿だ。全体的には黒い木肌が露出している。だが、それでも全体的なバランス、ボリューム共に申し分ない。観光鋭く外を見ていた。
顔は丸みを帯びている。しかし、体はかなり引き締まっている。典型的な鎌倉の仏像だと感じた。脇手はすべて当初のもの。光背や台座も当初部分が大きい。保存状態のよさが、特筆すべき点だ。
扉口からの拝観だが、光がよく入る。像までの距離はやや離れているが、よく拝観できた。塔の中で静かに座る姿は、力強くも穏やかだった。
仏像リンク編集部MEMO 📝

多宝塔に安置されている千手観音坐像は、鎌倉時代の作で千葉県指定文化財です。像高約1メートルのヒノキ製寄木造で、運慶から1〜2代あとの慶派仏師の作と推定されています。
お顔は丸々と張った若々しい印象で、玉眼がすがすがしさを加えています。姿勢よく、たいへんバランスのとれた端正な座り姿をしておられます。像底は上げ底式にくり残しており(運慶一派がよく用いた手法)、内ぐりも大変丁寧になされていて入念の作といえます。頭上面にも玉眼を用いたものがあります。
特筆すべきは保存状態のよさで、脇手はそのすべてが当初のもの。光背や台座も当初部分が大きく残っています。全体的には黒い木肌が露出していますが、それでも全体的なバランス、ボリューム共に申し分ありません。
顔は丸みを帯びていますが、体はかなり引き締まっている典型的な鎌倉時代の仏像です。多宝塔の扉口からの拝観となりますが、像までの距離はやや離れているものの、光がよく入ってよく拝観できます。御開帳期間中には、この千手観音さんにもお会いできます。

名称: 木造千手観音坐像(千葉県指定文化財)
時代: 鎌倉時代
像高: 約1メートル
材質: ヒノキ、寄木造
特徴: 慶派仏師(運慶から1〜2代あとの慶派仏師)の作と推定される。丸々と張った若々しい顔で玉眼。姿勢よくバランスのとれた端正な座り姿。像底は上げ底式にくり残し、内ぐりも丁寧。頭上面にも玉眼あり。脇手はすべて当初のもので、光背や台座も当初部分が大きく保存状態が良好。多宝塔に安置。
石堂寺・その他の仏像たち
本堂の内陣には、ほかにも仏像が安置されている。厨子の右側には不動明王が立っていた。かなり小ぶりで、キャラクター感のある像だ。本来はこの不動明王が入っていた厨子に、今は十一面観音が収められているという。
厨子の左側には元三大師の坐像がある。ご住職のお父様が、元三大師信仰のメッカである深大寺(東京都調布市の天台宗別格本山)で修行されていたご縁もあり、お迎えしたそうだ。お腹は少しふくよかだが、全体的にはシャープで筋骨隆々とした印象を受けた。
このほか、木造持国天立像と木造廣目天立像(ともに南房総市指定文化財)が脇侍として安置されており、慈覚大師の彫刻と伝えられています。また木造毘沙門天立像、前立十一面観世音なども慈覚大師の作と伝わっています。
境内には岩窟があり、そこに足利地蔵が安置されています。奥には中世の宝篋印塔の相輪や五輪塔の宝珠・笠石、一石五輪塔などが納められています。閻魔堂には、室町時代の弘治2年(1556年)に時の住職宗憲によって造像された閻魔大王と西国33観音の霊像写しが安置されています。
お寺の歴史と伝承

石堂寺は、南房総屈指の古刹です。創建には複数の伝承があります。和銅元年(708年)に奈良の僧・恵命と東照が創建したという説と、神亀3年(726年)に行基菩薩がこの地を訪れて大塚山に堂宇を建立し、十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし開創したという説があります。
仁寿元年(851年)、慈覚大師(円仁)が荒廃した寺院を見て嘆き、前立十一面観世音、脇侍の持国・広目二天、千手観音、薬師如来の各像を彫刻し、堂宇を造営して「天下泰平・百姓豊楽」の護摩祈祷を行い、再興したとされています。この時、天台宗比叡山延暦寺末となりました。
当初は「石塔寺」と称し、近江国(滋賀県)の阿育王山石塔寺と上野国(群馬県)の白雲山石塔寺(妙義大権現境内)とともに「日本三塔寺(日本三石塔寺)」に数えられたといいます。仏教を世界に広めようとした天竺(インド)の阿育王(あしょかおう)が造ったと伝わる「仏舎利」を納めた宝塔が、当寺に「瑠璃の宝塔」(水晶塔)と称されて秘蔵されています。
文明19年(1487年)、夜盗による火災に遭い全焼しました。しかし、当地を支配していた豪族・丸氏や里見氏の援助で、永正10年(1513年)頃に堂宇を現在地に移して再興されました。天文14年(1545年)には、丸一族が大旦那となり、里見義堯・正木時茂等の協力を得て多宝塔が建立されました。
室町時代末期、当寺で養育された小弓公方の足利頼氏の幼名「石堂丸」にちなみ、「石塔寺」を「石堂寺」に改めたといいます。戦国期末には、小弓公方足利義明の子や孫(足利頼淳・頼氏父子ら、頼氏は後に喜連川藩主となる)を養育しています。
庫裏につながる客殿には、初代「波の伊八」の彫刻があります。欅材の丸彫りで、安房の孝子家主をはじめ、唐人・海馬・唐獅子・水鳥・鶴・亀・龍・兎を題材に飾られています。
宝永2年(1705年)、石堂寺住職の弟子賢栄が、4年をかけて法華経六十六部の写経を66か国の社寺に納める廻国巡礼をなし遂げ、すべての檀家の安楽と衆生の平等利益を祈念して六十六部廻国供養塔を建てました。
大正12年(1923年)の関東大震災で本堂と本尊は倒壊を免れましたが、破損が甚だしく、翌年から2年かけて官民の協力で旧様式での修理保存が行われました。

主な歴史年表
708年(和銅元年):奈良の僧・恵命と東照が創建したともいう
726年(神亀3年):行基菩薩が大塚山に堂宇を建立し、十一面観世音菩薩を刻んで本尊とし開創したという
851年(仁寿元年):慈覚大師(円仁)が前立十一面観世音などの各像を彫刻し、堂宇を造営して再興(天台宗比叡山延暦寺末になる)
1331年(元徳3年):梵鐘が初鋳される
1487年(文明19年):夜盗による火災に遭い全焼
1513年(永正10年)頃:丸氏や里見氏によって堂宇(本堂)を現在地に移して再興
1545年(天文14年):丸一族が大旦那となり、里見義堯・正木時茂等の協力を得て多宝塔を建立
1556年(弘治2年):住職宗憲によって閻魔大王と西国33観音の霊像写しが造像される
1575年(天正3年):薬師堂建立
1663年(寛文3年):梵鐘を再鋳
1705年(宝永2年):住職の弟子賢栄が六十六部廻国供養塔を建立
1783年(天明3年):鐘楼堂建築
1916年(大正5年)5月24日:本堂(附 厨子、棟札、庫裏)が国指定重要文化財に指定
1916年(大正5年)8月17日:木造十一面観音立像が国指定重要文化財に指定
1923年(大正12年):関東大震災で破損
1924年(大正13年)〜:官民の協力で旧様式での修理保存を行う
静かな境内を歩く。枯れた菩提樹の枝先を、早春の風が揺らしていた。多宝塔を見上げれば、その中で千手観音が静かに座っている。そして本堂の厨子の中では、十一面観音が微かに微笑んでいる。 その端正で神秘的な表情の意味を、私は完全には読み取れなかった。
だが、だからこそ惹きつけられる。次の御開帳の折には、必ずまたあの静かな微笑みに会いに来ようと心に決めて、車に乗り込んだ。

石堂寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 長安山東光院石堂寺(ちょうあんざんとうこういんいしどうじ) |
宗派 | 天台宗 |
住所・アクセス | 千葉県南房総市石堂302 館山駅からレンタカーで約25〜30分。または館山日東バス「丸線」で約40分、「石堂寺前」バス停下車すぐ(平日は2時間に1本程度、土休日は少ない)。駐車場あり。 |
電話 | 0470-46-2218 |
拝観時間・拝観方法 | 御開帳は丑年(本開帳)と午年(中開帳)。かつては1ヶ月間だったが、今回は約3週間に短縮された。会期は年により変更の可能性があるため事前に要確認。内陣拝観を申し出ると入れていただける。 |
拝観料金 | 内陣拝観200円 |
.
.

地域タグ:千葉県の仏像

下記バナーをクリックしてアカウントをフォローしてみてくださいね!
【地方仏めぐりおすすめの書籍】

見仏記 (文庫)|みうらじゅん&いとうせいこう
新TV見仏記
地方仏を歩く|丸山尚一
【各エリアのおすすめ仏像本】

■東北エリア
図説 みちのく古仏紀行
■関東エリア
東京近郊仏像めぐり
■東海エリア
東海美仏散歩 愛知・岐阜・三重
■関西エリア















