滋賀・高島 保福寺|戦火を越えた「焼け残りの釈迦」木造釈迦如来坐像の威容

琵琶湖の北西岸、高島市新旭町。大宝寺山の穏やかな稜線を背負うこの地に、知る人ぞ知る名刹、保福寺は佇んでいる。Googleマップを頼りに細い坂道を慎重に登りきった先。そこには、観光地の喧騒とは無縁の、真に仏を希求する者だけを静かに待つ明るく神聖な空間があった。地域の人々が守り伝えてきた、信仰の深淵である。
神崎山 保福寺:本堂の中央に放たれる、半丈六の圧倒的な存在感
案内された本堂へ足を踏み入れる。意外だったのは、その明るさだ。仏像は厨子の奥に祀られるのではなく、堂内の中央に悠然と坐していた。春の光を受け、あるいは堂内の空気に照らされ、その姿は微細なディテールまで詳らかにされている。一木から彫り出された140センチを超える巨躯は、10世紀という平安の息吹をそのまま現代に繋ぎ止めているかのようだ。一木造ならではの厚みのある体躯、ドーンと張った胸、そして横に大きく張り出した膝。その姿は、単なる彫刻を超えた、ひとつの生命体としての重圧を放っている。

「焼けのこりの釈迦」という異名が、その胸の焼き跡に刻まれている。戦国時代、織田信長の兵火によってかつての大宝寺が灰燼に帰した際、村人たちが命がけで運び出したという。現状、その肌は漆箔が燻されたような鈍い黒金色の光を放ち、見る角度によって、厳格な守護者のようにも、すべてを包み込む慈父のようにも表情を変える。翻波式衣文の名残を留める衣の襞、力強く結ばれた印相。中央に坐すその姿は、どれほど見つめていても飽きることがない。悠然すぎて離れがたい――。その引力は、かつてこの地を焼き尽くそうとした火焔さえも退けた、強い意志の顕現のようであった。

仏像リンク編集部MEMO 📝

保福寺の木造釈迦如来坐像は、10世紀初頭(平安時代)の作とされる重要文化財です。最大の特徴は、平安前期特有の「森厳・重厚・量感」と、平安中期へと向かう「穏やかさ・和らぎ」が、高い次元で融合している点にあります。ヒノキの一木から頭・体を彫り出し、背後や底部からダイナミックに内刳を施す技法は、まさにこの時代の傑作の証明ともいえます。醍醐寺の薬師如来坐像との様式的共通性も指摘されており、当時の最高峰の造像技術が、この湖西の地に伝えられたことを物語っています。翻波式衣文が形式化しつつも美しく残る膝前の表現などは、いつまでも眺めていたくなる存在です。
1. 醍醐寺像との比較で見えてくる「厳しさ」

この釈迦如来像を語る上で欠かせないのが、京都・醍醐寺の薬師如来坐像(国宝)との比較です。両者は様式的に非常に近いと言われていますが、保福寺像はより「厳しく、締まった」印象を与えます。特に注目すべきは、グッと突き出した下顎と、キリリと結ばれた唇の表現。平安前期の力強さが凝縮されたようなその風貌は、単なる穏やかさだけではない、守護者としての力強さを感じさせます。
2. 「地髪」と「肉髻」の境界に宿る古様

頭部の造形にも貴重な特徴が見られます。通常、頭の盛り上がり(肉髻)と下の部分(地髪)ははっきりと境界が分かれることが多いのですが、この像はその境界が不明瞭で、なだらかに繋がっています。これは制作当初の様相を色濃く残していると考えられており、螺髪(らほつ)の植え付け方は後補が含まれるものの、そのフォルム自体に平安時代初期から中期へと移り変わる時代の、独特の造形感覚が息づいています。
名称: 木造釈迦如来坐像(重要文化財)
時代: 平安時代(10世紀初頭)
像高: 143.3cm
材質: 木造(ヒノキ材、一木造、内刳あり)
特徴: 右手施無畏印、左手与願印。結跏跌坐する通形の姿。頭体を通してヒノキの一材から彫成。背面および像底から内刳を施す。現状、漆箔が後補され、燻したような鈍い黒金色の輝き。肉髻は先細に形よくあらわされ、螺髪は後補を含む。翻波式衣文はやや形式化するが、膝前の裳先には渦文が見られる。平安前期の圧倒的な重量感と、和らぎ始めた表情が共存する、湖西地方を代表する平安彫刻。

お寺の歴史と伝承

保福寺の歴史は、1363年(貞治2年)に東福寺の仏通禅師によって開創されたことに始まります。しかし、この寺の象徴である釈迦如来像が辿った道は、より険しく、劇的でした。かつて、寺の背後にそびえる大宝寺山には「大宝寺(または阿弥陀寺)」という広大な寺院が存在したといわれます。戦国時代、元亀・天正の兵乱において、織田信長の兵火がこの山を襲いました。山上のお寺が焼け落ちる中、本尊であった釈迦如来だけは、人々の手によって奇跡的に運び出され、この保福寺に安住の地を見出したのです。江戸時代に入り、1678年(延宝6年)の修理を経て、今もその時のままの威容を保っています。
主な歴史年表
・908年(延喜8年)頃:本尊(釈迦如来坐像)造立推定(修理銘札の逆算による)
・10世紀初頭:様式判断による本尊の制作時期
・1363年(貞治2年):東福寺の仏通禅師により保福寺が開創される
・1368年(応安元年):開基・長尊公が死去。その後約210年間、住職不在が続く
・戦国時代:織田信長の兵火により大宝寺が焼失。本尊が運び出され保福寺へ安置
・1596〜1615年(慶長年間):正伝寺第3世・黙室により中興、曹洞宗寺院として再興
・1678年(延宝6年):本尊の修理が行われる
・1901年(明治34年):本尊が(旧)国宝に指定。現在は重要文化財
・1927年(昭和2年):大規模修理。台座内から修理銘札が発見される
本堂へ上がる前、西浅井出身という奥様が、まるで遠方からの親類を迎えるかのように温かく出迎えてくださった。その心尽くしのおもてなしに、張り詰めていた気持ちがふっと解けるのを感じた。しかし、同時に背筋が伸びる思いもした。ここは、観光ガイドを開いて「ついで」に寄るような場所ではない。奥様の優しさと、釈迦如来の厳しいほどの美しさは、表裏一体の「信仰の姿」。去り際、バックミラー越しに振り向いた保福寺の屋根は、高島の豊かな山河に溶け込み、変わらぬ守護を誓っているようだった。
保福寺の拝観料金、時間、宗派、電話など
正式名称 | 神崎山 保福寺(かんざきざん ほうふくじ) |
宗派 | 曹洞宗 |
住所・アクセス | 〒520-1511 滋賀県高島市新旭町安井川756 JR湖西線「新旭駅」からタクシー利用(約2km) |
電話 | ‐ |
拝観時間・拝観方法 | 通常非公開 |
拝観料金 | ‐ |
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地域タグ:滋賀県の仏像

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